悩んでる時に他人に答えを求めてはいけないということ
はじめに
今この記事を読んでいる君にはなにか大きな悩みはあるだろうか。
人はよく悩みを解決する時、自分なりのストレスを解消するためにリフレッシュしたり、他人に相談したりする。そうすることによって自分の悩みを解決しているのである。
よく行っている悩みや不安を解消する行為
たとえば現代において、Googleで「死にたい」と検索するといのちの電話ホットラインが1番最初に出てくるし、好きな音楽を聞いたり、ドライブに行ったり気をそらすことも有効である。
でも良く考えていただきたい。
これらはただ「対処」に過ぎないのである。
そう。どんなにリフレッシュしても、それが「対処」である限り「解決」には繋がらない。
そして本題
対処が本質的な解決にならないのならばどうすればいいのか。
お待たせしました。だいぶ前置きが長くなってしまったが他人に相談すること自体は全然悪くないのだ。問題はその中身にある。
悩みを他人に打ち明けた時、他人はこうすればいいんじゃない?と解決方法を提案してくれる。
しかしそれはその相手にとってベストの解決方法であって自分にとって最善の解決方法ではない
ということだ。
他人は他人であって自分は自分である。他人が100%自分のことを理解しているというわけではないし逆もまた然り。
最終的にどうすればいいのかというと解決方法は己でしか生み出せないということだ。
では相談してなにが得られるかという話はあとでしよう。
なぜ相手に答えを求めてしまうのか
学生ならわかると思うんだけど、学校の宿題で出たワークって、手っ取り早く終わらせたいからとりあえず解答集を見て写せばさっさとおわるって思ってやらなかった?
実は悩みに関してもこれと同じ原理である。手っ取り早くこの悩んでる状態から抜け出したくなってしまって、相手に答えを求めてしまう。結果として自分で解決する方法がわからなくなって相手(または解答集)に依存してしまうのである。
それって他人に操られてるのと同じじゃないか、あの人がこう言ってるから・・・って動いてたってそこに自分の意志は全く介入していないよね。
他人に操られるのは嫌だし、自分を持って、自由に生きよう。
じゃあどう他人に相談すればいいんでい
それは単純です。
アドバイス程度に受け取るということ。言い換えればヒントだと思えばいい。
自分が悩みに対して主観的な立場から見ているのに対し、相談相手は客観的な立場から見ている。別の視野からどう見えてるのか教えてもらえれば、最終的な判断は自分でして、相談相手からはちょっとしたヒントをもらったくらいに思えばいい。そうすれば最終的な決定は自分でしているから自分の意志が介在しているということになる。
まとめ
ここまで
- リフレッシュしたりすることはただの対処でしかない
- 解決するには結局己の意志が必要
- 他人に相談するなら答えはもとめず、ヒント程度に受け取れ
この3つを起点に話してきたが実は人間、他人の意見なんてほとんど聞いてないんだよね。
他人に相談する理由は自分の意見に対して承認が欲しい!!という承認欲求からくるものなのである。
それを含め、次回は相談を受ける側の話をしていこうと思う。
そろそろ日記的な記事も書きたいから次々回になってしまうかもしれないけど。